25歳 社会人4年目男広報担当者が将来について考える日記

25歳 社会人4年目男が将来について考える日記です。25歳という年齢は仕事の方向性、プライベートの方向性、まだたくさん可能性という名の道が伸びているせいでどの道を選ぼうか悩み葛藤する年齢だと思います。だからこそそんな貴重な瞬間を書きとめ、振り返る。そんなブログになればいいなと思います。

振り返りと抱負

新年あけましておめでとうございます。

昨年は大変お世話になりました。

 

昨年の抱負に続き、今年も豊富を書きます。

 

まず、今年の振り返りですが

今年は苦難の年でした

どんよりとした閉塞感が一年を通じて漂っていました。

ただ、それは仕事面のみの話でありプライベートに関しては昨年同様、非常に充実した一年だった様に思います。

 

仕事面でいうと昨年が自分の成長を毎日のように感じ

すごく充実していた反動なのか、今年は本当に気分が晴れない日が多かった印象です。

会社の新組織体制のひずみにのまれました。

そして気づいたことは、去年が特殊だっただけで、今の状態がこの会社の本来の状況だとうことに気づかされました。

整合性や、効率性など関係ない。鶴の一声や、上長に媚びへつらい、言外を読み取ることが第一と考えられている。

だから、一向に外国人社員が根付かず、細々とした国内需要で食いつなごうとしている。

そんな印象を持ってしまいました。もちろん、現状を変えようと必死な人達もいますが、ほんの一握りの人たちだと思います。

他社に幻想をいただいている訳ではありませんが、少なくとも広報という立場を利用して上層部の意見を垣間見ると

いささか辟易してしまう部分があります。

そんな状況もあり、今年はほとんど新しいことにチャレンジをさせていただけませんでした。

チャレンジをさせていただけず業務も制限され、他からの魅力的なPJにも協力ができず

「精神的につらい経験ができた」これ以外に得るものが何もなかったです。

また、そんな現状を打破することができなかった自分自身に対しても悔しかったです。

置かれていた状況は苦境でもありましたが、見方によっては、ひとつステップアップするチャンスでした。

 

ただ、もちろん良い面もありました。

去年の上司のつながりで、新しいプロジェクトを実現まであと一歩のところまで持って行けたこと。

そのプロジェクトを面白い、と支援してくれる人がいたこと。

大きなムーブメントにできるところまであと少しのところに来ることができました。

現状、尻つぼみになってしまっていますが、立て直せるように頑張りたいです。

 

また、若手広報担当者の会では役員を担当させていただきました。

正直、周囲のレベルが高くついていくのに必死でしたが、なんとか全うできたかと思います。

 

プライベートは今年も充実して過ごすことができました。

健康面ではストレスにより持病を悪化させてしまうこともありましたが総じて問題ありませんでした。

それ以外の部分でいうと

京都2回、大阪3回、岩手、仙台、バンコク、ロサンゼルス、ラスベガス、猿島、秋田、台湾、北海道、アムステルダム、パリ、ブリュッセルブリュージュ。。。

たくさんのところへ、出張や旅行にいかせていただきました。

出張で一番思い出深かったのは北海道大学の教授や、働く人々の雪をも溶かす熱い想い。

一番思い出に残ったのはアムステルダムののんびりとした街並み、一番笑ったのは、高校メンバーと旅行した秋田とバンコクです。

 

別の意味でも印象に残ったことがあります。

高校や地元の同級生たちの結婚です。

多くの人が婚約しました。もちろん嬉しい気持ちが反面、自分がもうそういうステージに突入したことを自覚しました。

特に親友の子どもを抱っこした時には感慨深いものがありました。

 

そして、去年の課題だった。英語の勉強。

今年はたくさんの時間とお金をかけて勉強しました。

が、もともと勉強自体が得意ではないので本当に苦労しながら今も頑張っています。

この努力が成功に結び付くかはわかりませんが、少なくとも成長には結びついているかとは思います。

とにかく3月まで、なるべく多くの時間を勉強に費やしたいと思っています。どうか実を結びますように。

 

あと、別件ですが

川崎フロンターレの優勝も本当にうれしかったです!!!!!!

等々力のスタジアムがもっと大きくなったらすごい嬉しな~。

 

最後に来年の抱負ですが、

来年の抱負は「自分に勝つ」ことです。

おそらく、だらけ様と思えばいくらでもだらけることができてしまう環境にいるか

環境に適用することに必死でもがき、人生の中で貴重な1年を過ごしているかのどちらかになりそうです。

どちらにせよ、「自分に勝つ」ことが求められます。

 

自分の最終ゴールは「強くなりたい」です。

誰にも犯されない自分らしい自分でいれることです。

そして、自分の一時間あたりの価値を高めること。

なるべく短い労働時間で、生きていくことに必要なお金を稼げるようになりたいです。

 

そのためには?

シンプルですが色んな経験をインプットし、新しいことを始める活力にしていく。

そして自分が納得できるアウトプットを出し続けていく。これに尽きるかとおもっています。

道なりは険しいです。

でも、大きな経験をつかめる、あと少しのところに自分がきていることは自覚しています。

 

来年もたくさんの人々とお会いできるといいなと思います。

みなさまよろしくお願いいたします。

今日学んだこと

すごく学んだ

 

往々にして

こんなシーンがあったが

 

おれは今後きめる

 

酒席において

めーる、電話は確認しない

 

なぜならば

確実に判断を鈍らせるからだ

 

酔った勢いでの無礼講は

ビジネス上で通告し

ノーの案件は脳 ノーという

これは今後誰になにを言われようが経験則としててっていする

 

いいか?

24時間対応することは美徳ではない

 

休むならば事前につうこくし

歩み寄って裏切られる

心を鬼にして

許そう

 

こんな対応でも

それは下請けだか仕方ない

 

と思えるようにしよう 

と、心を鬼にして謝罪する

 

その謝罪が晒される。

 

そうした時、どうすればよいのだろう?

もうわからん。

 

おれの苛立ち、不快感は全て蛸壺に押し込めばいいのだろうか。

 

こんな時

相談できる

信頼できる

上司がいないのも問題だ

 

先入観

先入観とは怖いもので

 

それがスタンダード

と思うと一生それにあまえる

 

その対応が当然と思ってしまう

おれが当然とおもって思うことは

その業界では当然ではないのかもしれない

 

そうやって常に自戒の念で接しよう

 

今回のウェブ会社は仕方ない。

仕方ないと思おう。

電車のお姉さん

今日あった漫画のような話。

品川駅から京急に乗るホームで

泥酔しているお姉さんと仲良くなった。

 

お姉さんは泥酔しながら電車で泣き出した。

そして大声で言った。

 

「なんで私が広報みたいな意味のない仕事をしなくちゃいけないんだよ!私は車が売りたかったのに!」

 

とても心が痛くなった。

よくよく聞いたら4年間やってきた営業から今年広報に異動したらしい。

 

呂律が回らない感じで、うとうとしながら

「私にとって、仕事が1番だったのになんで…」みたいなことを言っている。

 

このお姉さんがどんな人なのかも知らないし、どんな会社に勤めているのかもちろん知らない。

だけど、意味のない仕事といったところが心に刺さる。

広報の仕事は成果が見えない仕事と言われることがある。

でも裏を返せば成果がでなくても許される仕事である。

記者に諂い、上司や、役員の顔色を伺う。

そんな日々に自分も辟易しているからこそ「意味のない仕事」って言葉が心に刺ささった。

 

おれは広報の仕事は面白い仕事で可能性がある仕事だと信じている。

でも、日々の仕事は退屈で本当にやる必要があるのか?と悩み、営業からは左遷部署だとまで思われている。

 

でも今日みたいに外からリアルな言葉を聞くと本当に辛い。

 

やっぱり意味がないのか。まわりからはそう思われているのか。

 

仮にもし、自分が仕事に誇りをもって自信を持ってさえいれば、そんな周りの言葉は屁にも思わないだろう。

 

いまの仕事に自信も誇りもなく、そんな仕事をしている自分自身が許せない。

 

やっぱり異動か転職か留学するしかない。

とにかくこのままじゃだめだ。

 

 

酒だった

皮膚が痒くなる1番の原因は酒だった

あとは食べ物

また来週実験する

今日1日を後悔しない

今日の繰り返し

今日1日の努力

 

後悔しない毎日を生きる

 

イチロー

The art of preparation を読んで思った

 

「準備をするというのは、その日1日が終わった時に後悔をしない。言い訳の材料を作らない。1日終わった時に『あー、今日はあれをやらなかったな』とか『これをやっておけば良かった』、そういうことを1日が終わった時に思いたくないので、後悔しないためのものであると言えると思います。おそらくいい思い出、一番いい思い出ができるのは、僕が野球を辞めたあとじゃないかなと思っています。今は、昨日できなかったこと……が、一番悔しい思い出として残っています」